日本最大の政令都市

さて、日本の政令指定都市の中からまず始めに紹介するのは、東京都の南側である神奈川県東部に位置し、同じく同県の県庁を有する横浜市です。横浜市は、政令指定都市の中でも最も人口が多く、その数は実に368万8779人という、政令指定都市の条件50万人の法定人口を軽く7倍程度超過した大都市です。神奈川県の中でも最も面積が広く、海に面した大都市であると言えます。そんな横浜市は、京都が首都であった時代より開発が勧められ、江戸幕府が設置された江戸時代においては、東海道の宿場町であった神奈川、程ヶ谷、戸塚を中心に発展を続けました。黒船来航で有名なペリー船団が来航したのもこの横浜の港で、その様子を表した絵が残されています。この黒船来航までは、基本的にはあまり大きな都市ではなかった横浜は、ペリー船団の来航によって大きくその方向性を転換します。太平洋航路の拠点であり、捕鯨船の補給拠点としてその勢力を伸ばしていきました。日米修好通商条約の締結により、アメリカが日本の港の使用をすることが認められて以降その傾向はより色濃くなり、どんどん発展を進めて言ったといいます。そうして発展が進んだ横浜市の特徴は、出島を有する長崎県と同じように、異国の文化をいち早く取り入れることが出来るという特色を生かし、国際色の豊かな都市としての発展を始めます。当時の日本の国略として、外国に港の使用は認めたものの、港町以外への移動を極力禁じ、異国文化の流入を抑える方向性があったために、こういった港町の発展の仕方は非常に特異でありました。その後明治時代に入り、本格的に鎖国が解除されると同時に、廃藩置県によってその政治体制が大きく変わった際に横浜市としてその生を受けました。その後も港町としての機能により大きな発展を続け、横浜開港五十周年の祭典では森鴎外によって作詞された横浜市歌が合唱され、来航していた外国船団はこぞって祝砲を放ったそうです。それ以降は、港町としてだけではなく、京浜工業地帯という大工業帯としての側面も強くしていき、大正昭和期において特に重視された重工業を担い、その後も素材を諸外国から輸入し、加工して輸出する加工貿易という日本の特性に従って非常に大きな役目を担っています。しかし、そんな横浜市の道は必ずしも平坦な物ではありませんでした。それは、物理的な道ではなく、途という意味で。この横浜に訪れた大きな試練は二つありました。まず一つ目は、大正12年に発生した関東大震災です。関東大震災の震源地は東京よりこの横浜方面に近かったため、直下型地震としての被害を最大限に受け、領事館や洋館などの、今までの港町としての象徴でもあった建造物達が軒並み倒壊するという壊滅的な被害をうけています。しかし、その後の復興事業により、震災以前よりも大きな都市機能を備えた都市として復興を遂げることになりました。さらに、もう一つの試練は第二次世界大戦です。東京大空襲と同様に、横浜も空襲の対象となり、磯子区や鶴見区などの沿岸部は焼失、市街地においても壊滅的な被害を受けます。そして敗戦後にはあのマッカーサー元帥で有名なGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の本部が設置され、その復興は非常に遅れました。本格的な復興が為されたのは1951年の対日講和条約締結の後で、次第に現在の形までの復興を進めてきたといいます。今なおアメリカ軍の施設は残ってこそいますが、現在の日本一の大都市となるにはこれほどの大きな試練が必要だったのかもしれません。現在では海に面した繁華街としてみなとみらい21地区が整備され、そこには横浜ランドマークタワーがそびえ立ち、一層大都市としての風格を強くしています。三度目の試練が訪れないことを祈りながらも、今後のさらなる発展に期待せざるを得ません。

プレサンス ロジェ 高槻プレミア
プレサンス ロジェ 高槻プレミアをお考えのあなたのために。プレサンス ロジェ 高槻プレミアの情報が豊富にあります。

昔から横浜市保土ケ谷区の街が好きで、このサイトでもそこばかり見てしまいます。

このサイトで大阪の情報を事前にチェック
http://www.dirittiedoveri.org/

食のすゝめ【関東版】
お探しの新政 あらまさのグルメ情報が見つかる!